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長男の小学校の時のお友達、Kちゃんがこの一週間、我が家に泊まっている。長男はあいにく北京で缶詰勉強中なので、私がこの三日間、Kちゃんと共にロンドン観光をしている。彼女が行きたかったのは美術館や博物館だということで今日は大英博物館。大英博物館なら私も確かに何回も足を運んでいるがそれは特別な展示会やイベントのためだった。
新しく去年オープンしたという中国陶磁器の展示室に行って驚く。それは間違いなく逸品ぞろいだったからである。特に皇帝御用達の窯で作られたという作品は一種、独特の雰囲気を放っている。それは非の打ち所が無いできばえだからだけではなく、そのためになされた様々な人の努力や想いの跡がその物に付いて離れないからだろうか。 珐琅彩とよばれる磁器は色が殊に艶やかで、他とは製法で一線を画しているのがすぐわかる。あまりにも手間隙がかかりすぎて後に製法が失われたというのもさもありなんというものである。(*その復興に成功した景徳鎮の陶芸師によれば顔料に砒素が入るため、焼き入れにその毒ガスが発生しマスクをつけていたにも関わらず鼻血がでたとのこと新京報 2006/5/30」) 最後にこのようなレベルの陶磁器をどこで観たのか思い出せない。台湾の故宮博物館にはあるはずだが、そこにはあまりにも観るべき物が多すぎて訪問したその時には陶磁器にまで心が及ばなかったのだろうか。 色鮮やかな単色物の陶磁器も同系列の色が微妙に違っている。やや落ち着いた臙脂紅から朱色と桃色の間の珊瑚色までの赤色が特に目を引く。そこで昨日,Tate Modernで観たCy TwomblyのBacchusという作品に使われた色を見つけた。(* 一目見て気に入った作品。私にとっては青春の次に来る「朱夏」というイメージの絵) 力のある芸術品はジャンルを選ばず情感を揺さぶってくれる。今回は陶磁器だった。 #
by yy-mari
| 2010-01-10 08:56
| イギリス
Transition Townいう運動があるのを知ったのは昨年の11月末。この運動の支部が私の住んでいる地域にも設立し、そこが私の家からすぐ傍の教会で一日セミナーを開催してくれたのである。そのチラシをFarmers' Marketでもらったのがきっかけだった。
その運動の一環としてのプロジェクトが「自宅菜園を始めたいのだがどうしていいかわからない地元の人を主体に地元の公営家庭菜園地をトレーニングとして使う」というもの。 今日が二回目のミーティングで、件の教会のすぐ傍の、表通りから引っ込んだところにあるパブで行われた。ここに引っ越してから頻繁に前を通っていたのに入ったことの無かったパブ。中に入るとすぐにここがこの付近の人たちの会合の場になっているのがわかった。 ミーティングの主要な議題はそのプロジェクトの資金問題。ちょうどお役所がそういう家庭菜園に関するするプロジェクトを資金援助をしていて、そこに認められる為にどういう風に申請書を書くか、ということだ。 今回は公営家庭菜園を管理するお役所の人、Sさんが加わってくれた。彼自身も家庭菜園を持っていて、かつ他の人の家庭菜園をお役所の立場から管理している。自ずと彼の発言は「家庭菜園裏話」のように一般の人が知らないことだらけである。 そこで司会を務めているCさんが「こんなことやっている人たちって中流階級ばかりだって批判があるから参加者が幅広いということをアピールしたらどうかしら?」と問いかける。 確かにこの会議に参加している人は市民運動の意識の高そうな中流階級の地元の方のようである。 するとSさん曰く「う〜ん、家庭菜園をやっているのは本当に様々な階層の人たちなんだ。問題は家庭菜園の割当をもらうのに数年かかるのに、始めて2年目で辞めてしまう人の率が75%に達するということなんだ。本当は小さな部分から始めて、それを大きくしていけばいいのに皆目一杯大きな場所を申請する。そしてその大きな場所を耕すのにどれくらいの時間がかかるか見当がついていないんだよ。三ヶ月の間毎週末を家庭菜園に費やすなんてできる人はあまりいないからね。」 「中流階級が家庭菜園をやっている人の主流というのは当たっていないな。ただしね、中流階級は文句が言える。それは家庭菜園関係だけじゃなくてお役所仕事の全般についてそうだね。だから目立つんだ。労働者階級はぼそぼそっと自分でつぶやくか仲間内で溜飲を上げるだけで終わってしまうんだよ。」 私はこの場所でも少数派の外人で、かつ家庭菜園に関しては何も知らない初心者なので教わることのみ多く、ただひたすら拝聴していた。 会議が終わって私はSさんにあなたにとっての中流階級の定義は何かと尋ねてみた。 「60歳以上の人は皆がそれぞれどの階級に属しているか、そして相手がどの階級なのかお互いわかるんだろうね。ただしそれより若い人の場合は難しいんだ。僕にとってはその人の出身というよりもものの考え方が階級を決めると思うけどね。」 「それは向上心の有無ですか?」 「いや、そうだとは思わないね。中流階級は個々人が政治的に無力であっても抗議ができるんだ。たとえば僕の仕事だと使われていない家庭菜園はそれを理由に使用者に使用を辞めていただきますという通知を出すんだけどね。相手が労働者階級だとモゴモゴ言ってそれでおしまいだ。これが中流階級になる『こちらはちゃんと使用料を払っているんだ!』から延々と交渉が始まるね。」 そうなると私の知っている労働者階級を誇りにしている英国人の友人等はそのものの考え方は確かに中流階級だと思った次第である。そう、その友人に共通しているのは高等教育を受けたということだ。 何十年かぶりの厳冬ですっかり路面が雪で凍ってしまった道を帰りながら教育を通じて資源を形成することができなかった人たちのことを考える。 #
by yy-mari
| 2010-01-06 19:30
| イギリス
機械にも老衰がある。いい例がコンピューター。使っていたHPのラップトップは2005年のお正月に購入。2007年に脳みそ(HD)を入れ替えたものの去年一年段々と動きが鈍くなってきていた。
クリックするたびに「どっこいしょっっと」と言っているかのようだった。画面上の砂時計の砂が落ちてくれず、風車が延々と廻る。。。日本語をタイプしているのにいきなり支離滅裂に行が飛んで変換不可能になる(断末魔の叫び、みたいな)等等。 そしてとうとうクリスマス前に「ほぼ脳死か!?」という事態になったときにぬるま湯だったのが実は熱湯だったというゆでがえるの自分に気づいた。 実はこの事態の一ヶ月前に意を決して自分のメールアドレスをYahooJapanからGmailに換えていた。使っていたユーザー名は元亭の名字が入っていて、離婚も正式に成立し彼も再婚したのにここまま惰性で使っていては名実が伴わないのは自明の理。Gmailのユーザー名は私が生まれた時の名前で数年前に取得しておいたものである。 そしてようやく新しいpcには三年間は働いてほしいと思って探し始めたところ、あまり選択の余地が無いことに気づく。なんせカスタマー・サービスの改善の余地が大いにある英国のこと、大手のPC販売店にしとこうと思ったら大手は皆、同列経営で値段も同じ。それではPCの製造者から直接買おうとすると大手に卸しているモデルは扱っておらず、そのケアプランは請け負わない、と来る。 5年間もこの業界の発展や内情等に関する情報を眇めで見ていたのでpc機能の詳細は一々検索しないとわからない。こういうことはオタクのように詳しい長男に聞けば簡単なのだがそれでは自分の為にもならないので自分で調べた上で長男に教えを請う。 そのPC販売店にも行って観てきたが応対に出たパキスタン出身のお兄さんは「5年も使っているなんて信じられない。。。僕は半年で次のにグレードアップだよ!」とのたまわった。「私、これに関しては実利主義なんで私なりの基準で使えればいいんです。」 そして出た結論がMac. 自分の必要とする条件を設定してそれに見合った性能のものを選んでいくと安めであったWindowsのpcが実はMacとあまり変わらない。この手口はアイルランドを基点とする格安航空会社、ライアンエア思い出させた;広告には片道9.99ポンドだと謳ってあるのですが航空税やあらゆるサービス(他社では運賃にすでに含まれている)が次々に課金された結果、そのサービス内容を鑑みると大して安くはない、といった。(とどめの一発はカードで支払いすると乗客一人あたりに対して5ポンドの課金。実質費用は一回の支払いに対し0.3ポンドなのに、である。)この結論に行き着くまで結構な時間がかかった。 そして12月30日のお昼頃にオンラインで購入。付加価値税が15%から元の17.5%に上がるのでぎりぎりで間に合う。 驚いたことに翌日の大晦日の午前に新しいマックが到着。予約した時には予定が1月の5、6日とあり、それは妥当な線だと思ったのだが直ぐに次のメールでもう配達します、ときていたにも関わらずこの国のことだから期待値を上げてはいけないと思っていたところだった。 マック信奉者の息子に箱を開けながらお礼を言うつもりで電話する。「どう、かっこいいでしょ、おかあさん?」と言われて「でもこれ。。。CPUの部分が無い。。。未配達、まさか!?(実は頭の中にPCのタワーが幽霊のごとく残っていた。)」この5年の間にモニターは薄く大きく広がり、脳みそのCPU部分はその後ろにへばりついて一体化していたのだった。 瀕死のpcから元気なMacへ。 2010年は「右クリックができない!」「ええとコントロールパネルは?」といいながらAppleのサイトの初心者向けのチュートリアルの動画を延々とみることで明けていった。 「学到老、活到老(日々、これ学習)。」あけましておめでとうございます。 #
by yy-mari
| 2010-01-01 00:01
| その他
縁のある人とは縁があるのだろう。
考古学者(ヨーロッパ専門)でかつ刀剣収集が趣味、というJさん(71歳)と日本庭園のセミナーで初対面。その次のSOASで又行われた鈴木大拙師のドキュメンタリーでJさんは偶然私の斜め前に座っていた。そしてその週に能面師(といえばいいのでしょうか)のWorkshopがあってそこでももちろん遭遇。 日本美術刀剣保存協会なるものがあるとは全く知りませんでした。趣味の世界は奥が深い。日本人として生まれ育ったとしても本物の刀剣をガラス越しに見る機会はあったとしても手に取って鑑賞することは大方の人には無いでしょう。私もそうだったので、もしよろしければ拝見したいとお願いしたら、その場で御互いに手帳を開き、都合のいい日を選んで即実行となりました。 当日、バス(Oxford tube)を使ってOxfordの郊外へ。そこは「人里離れた」としかいえないような村で(何でも屋の郵便局兼食料品店が一軒だけある)、Jさん宅には奥様(三度目)とお子さん(可愛い盛りの三歳の女の子)が出迎えてくれました。天真爛漫で幸せいっぱいな女の子は大切に育てられているのでしょう。私は体力はあるので喜んで相手をしたら「いいにおいがするわね!」と女の子に言われました。 なぜ専門がヨーロッパの考古学なのに日本刀とか日本の美術品が趣味なんですか、という単刀直入の質問に「懐かしい気持ちがするから」とJさんは答えてくれました。刀剣に関する専門的な書籍(半分は日本語)はもとより、鍔も自分で発案したものを作ってもらい、刀の打ちいれを日本でやってきたという正統派のオタクです。鎧兜一式も源氏物語絵巻の屏風を背景に部屋に飾ってありました。 小刀から頭を切るのに使ったという刀まで一振り一振り、真剣な面持ちで鑑賞させてもらいました。其々の刀にどういう過去があったかは知るすべもありませんが、血を流したことは多分あるでしょう。そこにこもった怨念を振り払い鎮めるように、呼吸に注意しつつ無言で重さを確かめます。数百年前に作られたとは思いもよらないほど刀は鏡のように光っています。もちろん錆などありません。 その横に作りかけの絨毯があったので「これは??」とうかがうと「自分でデザインして作っていたんだけど最近どうも時間がなくて。。。」という御返事。 最後になぜか誕生日の話になって愕然。なんと元亭と誕生日が同じでした。この可愛いお嬢さんはその一日前の誕生日で、この間会った収集家は同じ誕生日。単なる偶然なのでしょうが、何なのでしょう。 #
by yy-mari
| 2009-12-03 04:12
| イギリス
我が家の近くにあるAsian Music Centreに初めて行ってみました。ここのニュースレターは毎回いただいていたのになぜか今まで行く気がしなかったのです。 場所はどう考えてもActonの工業地区で交通機関からのアクセスもあまりよくはないところ。初回だから粗相の無い様にと早めに家を出たら結局出演者と同じくらい早く着いてしまいました。Music Centreというよりもこじんまりとしたモダンな家といった感じの建物は入ったらすぐに靴を脱ぐようになっていました。入って右側にはアジアの国々で使われている楽器が陳列されている博物館があります。にこやかに応対に出た館員が私が始めてここに来たと知ると進んで案内してくれました。この「親切さ」が私にはとても新鮮でした。(*ロンドンの大きな博物館/美術館でここまで自分たちの活動を広めたいという親切な館員には出会ったことが無かったので。) 二階のコンサート会場は大きな屋根裏部屋といった感じで演奏者はごらんのように絨毯の上に座り、観客もすぐ近くに同じように座って聞くことができるようになっていました。観客は総勢30人ほどだったでしょうか。その中に新任のアフガニスタン大使もいらっしゃいました。 「コンサートではなくてリハーサルですからね、お聞き苦しいところもあるかと思いますが、ご容赦ください」と進行を仕切る英国人のJohnさん(写真右上のRubab奏者)の説明から始まりました。使われている楽器は初めて見るものばかりで家に帰ってAfgan Music siteを調べて復習:ギターの親戚がRubab、アコーディオンと小型オルガンの親戚がHarmonium,太鼓の親戚がTabla。そして特別のゲストとしてギリシャ人のPontic Lyra奏者(左上の人)が加わりました。 楽譜があるわけでもなくRubabがするすると弾き始めてそこにTablaやHarmoniumが川の流れのように集まっていく音楽はうねりながら螺旋状にその場を包み込んでいくようで、聴いていてとても心地よいものでした。 後半ではまだ練習中という歌の入った曲を披露してくれました。初めの一曲は元々はとついで行く娘に向ける母親の歌を戦場に行く息子に向ける歌にアレンジしたもの、もう一曲は第一次世界大戦で亡くなったAlan Seeger(1888-1916)という詩人の詩、"I have a Rendevous with Death"をアレンジしたものでした。 英国で報道されるアフガニスタンはほぼ「戦場」であってそのほかのことが報道されることはあまりありません。なのに考えてみると私の行きつけのお店はアフガン人のおにいさん経営の八百屋であったり、この次皆と食事に行く先はアフガン料理屋です。このような接点があるのもロンドンだからなのでしょう。 #
by yy-mari
| 2009-11-16 09:02
| イギリス
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